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天声人语 20110809 历史的伤痕无法淡忘

发表于 3 小时前

天声人语 20110809 历史的伤痕无法淡忘

▼きのうに続いて柳田国男の話になるが、著作を読んでいて次の一節に立ち止まり、傍線を引いた。「歴史にもやはり烏賊(いか)のなま干(び)、又(また)は鰹(かつお)のなまり節のような階段が有るように感じられた」(「雪国の春」)。
  接着昨天的话题,今天笔者继续谈谈关于柳田国男,翻阅他所著的《雪国之春》一书时,看到了这么一句话,忍不住用笔划出来:历史中总有那么些小片断,让人想起半干半湿的鱿鱼干,或是鲣鱼干。
▼つまりスルメや鰹節のように乾ききっていない。歳月は経たけれど、まだはっきりと過去のものではない――そうした意味だが、先ごろの国際面の記事にこのくだりが重なり合った。中国で、日本の旧満蒙開拓団員の慰霊碑が、建立からわずか10日余りで撤去されたという。
  也就是说,某些历史片断也像鱼干似的永远不会彻底风干。即便时光流逝,依然无法彻底成为过去。这句意味深长的话,与笔者之前在本报国际版面上读过的一段报道相互映衬。中国黑龙江省方正县为日本满蒙开拓团的侵略者所树的纪念碑,建成不过十余日就被拆除了。
▼碑は黒竜江省方正県政府が、日中友好のために建てた。中国外務省の承認も得ていたが、「なぜ侵略者の慰霊碑を建てるのか」と、ネットなどで批判が起きた。親日的な土地柄の方正県は、きびしい批判に萎縮気味だという。
  这块碑是当地政府为中日友好所建,也经过中国外交部的批准,但网络上针对此事严厉批判,人们纷纷叱问道:“为什么要为日本侵略者建纪念碑?”。当地政府面对排山倒海的批判之词畏缩不已,只得拆除纪念碑。
▼日本軍が中国東北部へ侵攻した満州事変から今年で80年、終戦からは66年がたつ。しかし歴史は、鰹節にもなまり節にもならず、切れば血が出る姿で今も横たわる。「過激な反日」で片づけるわけにもいかない実情の一面だろう。
  距1931年日本侵略军发动九一八事变侵占中国东三省已过去了整整80年,第二次世界大战结束也已经66年了。然而这段历史,总也没法彻底风干成为过去,只要一撕扯,依然鲜血横流。有这样一段历史在,就不能单纯用“过激的反日情结”去解释中国人现在的反应。
▼柳田の一節は、明治の三陸大津波から20余年後に現地を訪ねた感慨だった。「一人々々の不幸を度外に置けば、疵(きず)は既に全く癒えて居る」とも述べている。表向きの復興を一皮むけば個々の涙が流れている。それは天災も戦災も変わるまい。
  柳田书中还有一段,描写的是明治时期的三陆大海啸过后20多年,他重访当年灾区的种种感悟。书中这样写道:“如果受害民众的个人不幸不计在内的话,可以说三陆地区所受的创伤已完全痊愈了。”可剥开繁荣复兴的那层外表,受害民众的眼泪从未干涸。这一点,无论是天灾还是战祸,都无分别。
▼まばゆい戦後の繁栄を経てなお、戦争を過去のものにできない人は多い。無論日本人ばかりではない。国境を越えてゆく想像力を培いたい、追悼と鎮魂の8月だ。
  有很多人虽经历了战后复兴和高度的繁荣发展,却依然无法忘怀战争带来的伤害。当然,笔者所说的不仅仅是指日本人。希望能培养出跨越国境线的卓越想象力,度过追思和哀悼的8月。

发表于 3 小时前


    今天这一篇天声,犹豫了很久都不愿意翻译,原因正如文中所说:那道历史的伤口好像永远也无法愈合。每次一读到日方人士宣扬“让过去成为历史”,心里就会产生本能的反感和不适。个人情感上无论如何也不能接受加害者假作和颜悦色、大彻大悟状劝慰受害人“早日忘记过去的伤害”,如果真的是民族心理创伤,那也只能等这个民族自己慢慢疗养,逐渐痊愈,这难道不是心理治疗必须遵循的原则之一么。
  之所以还是翻译了这一篇,也是出于这个目的。心を癒すために,嫌々でも我慢しながら勉強する!
天声人语 20110809 历史的伤痕无法淡忘